12月に入ると日に日に寒くなり、夜間は-10度を超える日も多くなってきた。雪が降れば雪掻きをし、氷の道を歩くにも細心の注意がいる。暮らしているものそれぞれが、生活することに気を遣い厳しい冬を過ごしている。
こどもは雪が降れば空き地を駆け回るが、犬は寒すぎて見当たらない。
年の瀬のそわそわした空気と凛とした深い静けさとが混ざり合う年末は、独特な雰囲気でなんとなく高揚する。
木には雪が積もり、小さな川や湖が凍りはじめ、大地から音がしだいに消えてゆく。
撮影に出かけてもシーンとした場面が多く、GF670の静かなレンズシャッターがはっきり聞こえるほどだ。これからの時期のこの静けさは大好きで、何も音がしないところでのおにぎりとお茶など、至福のひとときだ。いつまでも浸っていたいぬるめのお風呂のような包まれる感じは、ぜひ体験してもらいたい。
さて、今回はせっかくの年末なので、個人的なこれまでのことを少し振り返ってみたいと思う。
2016年の2月に網走に移り、もう少しで2年になる。来た当初は久しぶりの北海道生活に気分が上がっていたし、思う存分撮影ができると期待を膨らませていて、今思えばちょっとしたハイ状態になっていたように思う。
さすがに2年近く暮らすと慣れというか感動が希薄になりがちだが、それは心も体もこちらに順応し浸透してきたからのように思うし、そうあるべきだと感じている。通過者ではなく暮らすものとして写真を撮るということはやはり相応の時間がかかるし、そのための覚悟も必要だと、最近はようやく実感できてきた。
思い返せば被写体(取ろうとする場所)に身を置いたのは初めてのことで、以前東京で暮らしていた頃は作品を撮ろうとカメラを持ち歩いた記憶はほんの数回だと思う。
写真家なら常にカメラを持てという方もいて、確かにそれは正論だけれども、それはひとそれぞれ向き合うものが違うのだし、ONとOFFがあってもいいと思う。話が逸れてしまったが、とにかく当時の僕は東京でカメラを構えることがなかった。それは撮る気がなかったということではなく、何も面白くなかったからだと思う。
街を歩いていても、電車に乗っていても、安い居酒屋で酔っ払っていても、生きている感動を感じることはなく、常に道東の影を追い求めながら生きていた。
メガシティ東京の中で生きることが、本当に望んでいることとは到底思えなかった。
写真を撮る人にはそれぞれに向かい合っているものがあると思う。それはその人の生い立ちや思想、影響を受けた人、場所などでそれぞれ異なるし、それが現れるから写真は面白いと思える。その人となりが見える写真は強く美しいし、見る人を引き込む。
住む場所を変えることで簡単にそうなるとは思えないが、自覚を持てたことは一歩成長なのかなと思っている。少しずつではあるが、写真にそれが現れてくれたら本当に喜ばしいことだ。
さて、網走に再び戻ってこれたのは、自分の意思と周りの助けであることは間違いないが、これから僕はどうしたいのだろうか。
北海道で一生暮らすことは無いと思っているが、暮らしたいとも少し思っている。けれどきっとこのまま暮らしていたら止まってしまいそうな恐怖感がチラチラ見え隠れしている。やはり東京から道東へ来たように、道東からどこかへ行くべきなんだろう。ただ、どこに行っても追い求めるものは今と変わらないだろうし、この道東が僕のベースとなることは間違いない。
今もこれからも目の前に向き合っていくしかないのだろう。
来年もあれこれ考えたりしてしまうだろうけど、元気に健康に写真が撮れることが結局一番大切なんだろうなぁ。
写真家・松井宏樹